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2010年5月

みずまき 木葉井 悦子

10531mizumaki 片山 健の「どんどん どんどん」を知ったのは20年くらい前か、
すばらしい迫力で、すごいなあと思ったものだ。
 みずまきは先週の新聞の書評かなんかで知った。これもなかなかの
迫力だ。
 どんどんのほうが、より無意味な推進力というか生命力なんだろうか、
そういう原初的ななにかを感じる。

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自閉症あれこれ

01529undoukai_2 今日は次女の特別支援学校(むかしの養護学校という言い方のほうが好きだ)の、体育祭だった。朝はバス停まで送り、妻は役員なので、一足先に車で行った。開会式に間に合うように、自転車で行った、5.5km。次女は体育委員らしくて、朝礼台の上でラジオ体操をするのだが、その前にすでに飛び出して(smapだかAKBだか)踊っていた。その後も何度も飛び出していて、なんだよ、ぜんぜん成長してねえなあ。
 出番がふたつ終わったところで5.5km帰り、昼を食って一休みして、もう一度5.5km帰ったが、もう足に来ているのでまいった。歳だなあ。組み体操は重いだろうにうちのが一番上に乗ったりして、どうもすみません。帰りはゆっくり帰ったので、それほど大変ではなかった。結局ママチャリもどき(ホームセンターかなんかで買った内装3段)で22km自転車こいだのか、ややつかれた。

 知らなかったのだが、次女の同級生は典型的な自閉症で、常にコマーシャルかなんか繰り返しぶつぶつ言っているのだが、そんな調子で全然見ている気配もないのに、トランプの神経衰弱はもうすべて憶えてしまうのだそうだ、すごい。うちのは全然そんな能力ねえよなあ、と言ったら、いや、ほら、この間、お好み焼き作ったら、冷蔵庫の奥のたしか1年前に使ったきりのソースを、さも当然のように
持ってきて、びっくりしたよおすごいねえ、と言われたそうだ、うちのは食いもんだけか、とほほである。

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子猫もらわれる

100516_14090001 知り合いのヴァイオリン教室のH先生(のおかあさん)に子猫をもらってもらった。
 雨の中、わざわざ取りに来てもらって、ありがたいことでした。
 一日中じゃれ合っていた兄弟は、にゃーにゃーさびしそうだったけれど、かわいがってもらえそうで、しあわせだ。もう子育てに飽きてたらしい若い母親の方も、僕が帰るときにはじっとにらんでいた。ちょっと
こわかった。今度行ったときに受け入れてくれるかな?

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中国、なんですかそれは?

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小田空「中国、なんですかそれは?」
 小田空の中国ものだが、これはマンガでなく、エッセー。たくさんのイラストつき。
 知らぬ間に「北京いかがですか?」というのも出ているらしい。またしばらくして読んでみようかな。

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本の未来

 日曜の朝というと、TBSのサンデーモーニングを見てしまう。
司会の関口宏が時に、実に不愉快で、張本が時になんてだめなんだろうと思ってしまうが、他に見るものもないし、しょうがない、また見てしまう。でもともかく司会は変えて欲しいなあ。

 今日の最後の方はiPadというか、電子書籍の話で、コメンテイターがこぞって、本の擁護をしていて、それはそれで良いと思うけれど、うーん、そうねえ。


 あるアメリカ先住民族の長老が、本というものを初めて見たときに
「白い人びとはなんとおろかなのだ。なんのためにこんなものがあるのだ。必要なことは、おぼえておけばよいではないか。先祖からの経験や知恵、精霊の語る言葉、それらはすべて私の心の中に、ある。それはいつでもどこででも必要なときによみがえらせることができる。本なるものはそこに持っていなければ見ることもできないではないか。燃えてしまったらそれは永遠に失われるのか?おぼえておけないほどたくさんのことが書き留めておけると言うが、おぼえていられないようなことは不必要なのだ」
 というようなことを言ったそうだ。

「バジル氏の優雅な一日」のなかで、すべての「謎」の答えの半分は本の中にある。そして残りの半分の謎が解明されたら、また新たな謎が生まれるのだから、永遠に半分の答えしかそこにはない、と言うようなことを言っていて、印象的だった。


 さっきのコメンテイターに限らずだが、それほど本が万能でもないし、本がなくなってしまいそうでもないし、ipadのほうだって、それほど捨てたもんでも、あるいはすばらしいものでもないと思うなあ。どっちでもいい気もするし。


※注意!
 上のアメリカ先住民族の長老の話は、僕の全くのでっち上げです、信じないように。

 写真はいつも家のまわりを美しく花だらけにしているお宅の花

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頭の中身が漏れ出る日々 北大路公子

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 前に読んだ「生きていてもいいですか日記」は爆笑ものだった。
 これもおもしろいが、ややこちらがなれてしまって、そこまで笑えなかった。でもおかしい。お父さんがいい。しばらくして、忘れた頃、疲れ切った頃にまた次のを読んでみよう。

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鍵穴から見たヨーロッパ

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浜中隆志著 中央新書
鍵を視点にした文化評論みたいな本で、技術的なことはほとんど触れられていない。なかなか面白い。

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ドヴォルザーク 交響曲第7番ヘ長調

105dvk7 古巣の12月の定期は「新世界から」なのだが、なんと来週
(って、5日後!)のファミリーコンサートは7番という、今年は
うちのオケにとって、ドヴォルザークイヤーなのだ。
 宮本文昭は長いことケルンだかにいたはずだが、向こうのオケでは
新世界なんてめったにやらないけれど、7番8番はよくやるんだそうだ。へえ。
 僕自身、あまりなんでも聞く方ではないけれど、この曲は今回初めて
まじめに聞き、練習もした。少なくとも聞くにはとても良い曲だと
思うなあ。弾くのは難しい。「ヘミオラだらけ」。日曜に新世界の方の
楽譜も配られたが、新人(名人)は初見?でパラパラ弾きながら、
7番と違ってやさしいねえ!と感心していた。やさしくなんかねえよ!
と思うけれど、7番が難しいのはたしかだ。

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シャープの付け忘れ、ではないらしい

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 鈴木秀美校訂のバッハ、無伴奏チェロ組曲。 5番のプレリュード、215小節だけでなく、181小節目の2度目に出てくるcisも、シャープを付けるべきではないか。
 うっかりだとばかり思っていたのだが、そうではないらしい。
「同じ桁のなかに含まれていることから、「連続している場合或いは拍内では再び書かない」という原則にしたがって付けていない」
とのこと。(ご本人から丁寧な返事メールをいただいた。
ありがとうございます。)
 ただ、当時の筆写譜(ベーレンライターの4種、と、初版譜も)が律儀にシャープを付け直している。この場合は、「1拍の中或いは連続している時」に該当しないのではないか。(普通(というのは、
バロック時代の普通という意味だが)連続しているとき、と言うのは文字通り連続した、「ドドドド、レレレレ」みたいなやつだ。)
 もっとも、そもそも当時の楽譜が、厳密なルールにしたがってと言うより、教養ある?音楽家のための物だ。特に現代では、間違えるはずもなし、こんなのを気にするのは僕くらいかもしれない。

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