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2012年6月

反原発デモ 新聞の一面に

2012630demo 夕べも大きなデモが首相官邸前であった。さすがに今日の朝刊のトップに載っている。朝日新聞も大きく取り上げたようだ。
 大切なのは国の電力基本政策を脱原発にすることだ。


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佐野洋子「右の心臓」

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 佐野洋子はもちろん「百万回生きた猫」が代表作と思われているのだろうけれど、僕は好きじゃない。あざとい感じがして。エッセイはとても好きだ。正直で、本音がとてもうまく表現されていると思う。
 この「右の心臓」は、微妙だった。戦後すぐのいなかを舞台にしていて、小説なのかな、ヨーコの語りで綴られる、たぶんほとんど佐野洋子自身の体験なのだろうが、たしかに子供の視点がとてもうまくかかれているとは思うのだけれど、若干のあざとさを感じてしまうのだ。死んだ兄にパンツぐらい履かせてやればいいのに、と思うヨーコのところが引用されて、子供の純粋な気持ちを忘れない著者のどうのこうのと評価されるのだろうけれど、やっぱりあざとさを感じてしまう。たぶん読む僕自身が不純なんだろう。


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東京電力:地球に最も迷惑をかけた企業

 今日、6/25の東京新聞によれば、
「東京電力は原発事故に対し厳正な責任を取ることもなく、自社の損害を減らすために破局的な状況を小さく見せかけている」と、ドイツの環境団体が東京電力に「ブラックプラネット賞」を授与したそうだ。

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ペレアスとメリザンド(管弦楽組曲) フォーレ

 ペレアスとメリザンドというのは、よほど作曲家を刺激するらしく、ドビュッシーがオペラを書き、フォーレとシベリウスが劇付随音楽と管弦楽組曲を書き、シェーンベルクは交響詩を書いているらしい。シェーンベルクは聞いた覚えもない。シベリウスはたしかCDを持っているが、あまり印象に残っていない。ドビュッシーはNHKで見たことがあるが、なんて美しいオペラなんだろうと、印象強く覚えている。でも自分が演奏することは考えられないなあ。
 この春、古巣のアマオケでフォーレの組曲を演奏した。歌の入っている「メリザンドの歌」は演奏しなかったが、そういうやり方はよくあることのようだ。
美しい組曲だと思うのだが、演奏する側としてはあまり面白くなかったかなあ。いや、美しいフルートやヴァイオリン、ハープなど演奏しながら聴くという楽しみはとても大きかった。演奏する楽しみは自分がメロディーを演奏することだけじゃない。もちろんそうなのだが、シシリエンヌだって、チェロ独奏版が念頭にあって、きれいだなあ、きれいだなあ、いいなあ、と思いながら、チェロの間の手(あいのて)だって、トップのソロなのだ、自分は縁の下の力持ちだ。
そういうわけで、この曲はプロが演奏するための曲だと思う。(暴論 f^_^;)

チェロのレパートリー

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昨日の東京新聞

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 昨日の東京新聞。原発反対なのではない、都民投票をやれと言う請求を否決したのだ。まったく絶望的な気分になるが、それでも言い続けなければ。原発反対。原発は今の人間に扱えるものではないのだ。
 東京新聞はすこしはまともだ。

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家庭訪問

2012619bara 次女はこの春から作業所に通っているだが、なんと、家庭訪問があるのだ。先週末は掃除をしたり、ふすまというか、ドアの壁紙?を張り替えたり、たいへんだった。家庭訪問ってそんなに必要なのか?
 家にいるといつも通りの次女で、トイレは開けっ放し、結局ちらかった奥の部屋は見られてしまい、いつものように自分勝手にお茶を勧め(というか、お茶をついでなくすために飲めと指示をし)、挙げ句の果てに担当(担任と言った方がいい感じ)の人に「おとうさん、おちゃ」(^^;
 そういうところを見るための家庭訪問か、じゃあ、やっぱり必要なのか、、、、


 子どもの名前で(^^;妻が花を買ってくれた。ありがとう。


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6/15反原発デモ

 夕べ、6/15、大きな反原発デモがあったようです。平日夜にも関わらず、1万人を超えるデモだった模様。でもNHKはじめ、マスゴミはどこも伝えていません。どういうつもりでしょう。

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デマンドレスポンス

 昨夜のNHKクローズアップ現代は「デマンドレスポンス」の話。
 要するに需要の大きい時間帯の料金を上げて需要を押さえるなどして(電力の)消費を抑える(コントロール)すること。なんのことはない、人気の高い商品は値段が上がってなかなか買えなくなるという、市場原理を人為的に行う、ということだろう。
 それなら、そんなことを偉そうに言う(やる)まえにやらなければならないことがある。今回の原発事故の責任をきちんと取らせ、損害賠償をさせることだ。つまり原発がいかに高いコストを払わなければならないか、そのコストを東京電力の(旧)経営陣、政府の原発政策を担って来た官僚、政治屋にきちんと反映させること。いわばコストレスポンスだ。そうすれば原発がとても高いものになり、やる価値がないと言うことが明確にわかるだろう。

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「チェロとわたし」グレゴール・ピアティゴルスキー著村上紀子訳

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 正直に言って最初の2、3章はすごく読みにくくて、全然面白くなかった。あんまり面白くなくて、なんでこう読みにくいんだろう、人間の思考は言語に規定される。ロシア語はきっとこのようになんだか回りくどくて、一つ一つの単語はわかっても、全体として何を言っているんだかわからないようなものなのに違いない、などと勝手なことを考えながら読むものだから、ますますつまらない、いっそやめようかと思ったが、オケのチェロのトップがせっかく貸してくれたんだ、しょうがない読むか、と義務感から読み続けた。飛ばせば良かった。ちゃんとチェロを弾き出してからは面白く読めた。
 フルトベングラーのところは笑ってしまった。たしか、岩城宏之だと記憶しているのだが、フルトベングラーが初めてヴィーンフィルを振ったとき、「そんな不潔な指揮では弾けない」と野次が飛んで、それ以来関係修復に何年もかかった、という話を覚えていたからだ。
 ほかにも噂でしか知らない音楽家のエピソードなども面白かったし、本人のも面白かった。

 

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長女との会話

 子どもなんてしょせん他人と思ってはいるのだが、長女はいまだ反抗期を引きずっているのか、あるいは本当に独立しちゃったのか、あんまり話しもしやあしない。
 たまのこと、雨だし、疲れたから送ってくれというので駅まで送ってやった。話題も何もない。ゼミをやってるらしい。何のゼミ?絵本。
 えー、絵本書いたりするのか?いやそうじゃなくて、、、うちの先生がやらせたいのは、昔の童話とかが、現代で改作されているが、原典を調べるとだいぶ違う。現代に伝えるときに時代に合わせているんだろうけれど、全く違っているようなことも多い。それがいいのか悪いのか、先生は原点が大切だと言いたいらしい。へー、なるほど。たとえばディズニーなんかもずいぶん違うみたいね。そりゃあそうだろうなあ、アメリカは勝手なことするからなあ。まあね。
 いや、面白いなあと思って聞いていたのは、、、、
 知ってるだろうけど、おれの好きなのは特にバロック音楽なんだけどさ、音楽の世界でも同じことが30年前くらいに起こっているんだよ。へえ!?(と、めずらしく人の話をへえ、と思ったらしい)それは、例えば本当は小さな編成の曲を現代の大オーケストラで演奏したり、チェンバロって言うきれいだけれど音の小さな鍵盤楽器の曲を現代のピアノで1000人の前で弾いたりしているのを、ちょっと違うのじゃないか、昔のままでやった方が本当のニュアンスが聞き取れるのじゃないか、という訳で、原点回帰運動みたいのがずいぶん活発で面白かったんだよ。
 へえ。確かに音楽って、、、
 とその後はちょっと話がズレて行ってしまったのだが、ちょっと面白い会話だった。

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「やっぱりバカが増えている」小浜逸郎

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 この題名は著者本人がつけたのだろうか?編集者が養老孟司に似せて勝手につけたんじゃなかろうか。
 2003年出版で、数年間に「書き散らして来た断片的な文章」をまとめたもの。内容は前半が上野千鶴子、斎藤学、寺脇研、立花隆の4人をあげて、批判しているもので、後半は現代社会の問題を広く考えたもの。前半はどうかと思うが、後半はとても面白く読めた。
 前半はどうか、というのは、例えば、上野千鶴子に関しては、そりゃあそうだ、そうだろうと思うけど、そんなに力んで言うほどのことでもないんじゃない?という感じ。立花隆に関しては、言いたいことはわからないでもないけれど、全然ピントが外れてると思うなあ。立花隆の問題というより、それこど現代社会の抱える非常識なのかもしれない。なるほど著者はこう考えているのか、とわかって、それはそれで面白かったけれど。


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