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坂本龍一×東京新聞

2015119sakamoto  まあまあ面白かった。いろいろ考えさせられた。それは、まったくそうだということばかりでなく、そりゃあそうだが、でもねえ、ということの方が多かったけれど。
 左翼とくくられない工夫を、と言うが、そうねえ、だけどそう言うレッテルというのは相手がかってにはったり、あるいは逆にこっちがかってにはったりするものではないか。「坂本龍一」だって、いろいろなレッテルを貼られているのだし、僕自身もあるイメージの中で見ている。そういうくくられ方をされない工夫というのは、なにも言わないということと同じだと思うけどなあ。
 相手の心に届くように、というのも同じで、まあそうなのだが、別の所に書いてあるように、人は信じたい方を信じるのだ。信じたくないことをいくら心に届くように言っても届かないんだよなあ。もちろん、拳を振り上げて、自分は正しいと叫んでも誰も聞いてくれないのはよくわかる。
 自公がマジョリティじゃないと言う。そうだとも思うが、いや、でもしょうがないんじゃないと思っている人の方が大多数だとも思う。
 まったくどうすりゃあ良いんだろう。
「自らの発するノイズに気づけ」内田樹(思想家)という提言はとてもおもしろかった。曰く、われわれは情報の真偽を、その中身ではなくて、発信元の発するノイズから判断しているというのだ。まったくその通りで、「新聞に書いてある」から信じてしまう。産経だから、あるいは、赤旗だから、それを信じる、信じない。あの人の言うことは信じる。こいつの言うことは信じない。見知らぬ人のツイートはほんとかなと思う。でも沢山の人が言っていたりするとほんとかもしれないと思ったりする。
 つまり、内容よりも、誰が言ったかとか、その言い方のニュアンスとか、そういうノイズで真偽を判断するのだ、と言うのだ。
 まったくその通りだと思うが、でもそれはノイズじゃなくて、情報の「周辺」とか、あるいは「書いてないこと」だと思うけれど。(「書いてない」いうことから見えるものがある、ということは昔書いた

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