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2015年12月

静かな年末

 年末。昨日が仕事終わりの人が多いのだろうか、町は買い物だろうか、混んでいた。年末だが、大掃除もろくにせず、普通の休日でありがたい。まだ正月の用意もしていない。チェロも弾いたし、笛もちょっと吹いた。明日はちょっと忙しそうだ。

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パクチー

Pkt2015z28 秋にプランターにまいたパクチーがおいしく食べられているのでうれしい


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里山讃歌音楽祭

Omote 市というか、地元の高校大学の共催?のやっている里山讃歌音楽祭に行って来た。
 少しずつ内容が変わって来ているようで、ことしは高校の音楽の先生の作曲した「カンタータ」、次の高校は今年から参加したものだが、なんというかただの高校吹奏楽でただ時間があたえられてそれをうめただけ?。
 大学の教授(作曲家)の作品は例年通り。第九は4楽章のみ。

 高校の先生の作曲なんて、、、と期待してなかったのだが、割と面白かった。次の高校のはまあ、高校生なんだからしょうがないのかもしれないけれど、それは好感の持てる高校生だったけれど、論外。大学オケはなんなんだろう?毎年思っているのだが、メンバーはほとんど9割がたおじさんおばさんで、学生オケじゃないらしい。音大のはずだが、弦楽器なんて学ぶ者(あるいは教える方の問題?)がいないんだろうか?

 旧知に会えたのはうれしかった。生の音楽はいい。


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林望 くりやのくりごと

2015z23hys 林望の台所エッセイと言うか、うんちくというか老人の自慢話。おもしろいけど、鼻につく。参考になる事はたくさん。
 広い台所、別荘、いいなあ。金があれば。


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選択的夫婦別姓

 今朝の東京新聞に山口二郎が「選択的夫婦別姓をめぐる最高裁の判決にがっかりした」と書いているが、ぼくはがっかりはしていない。あきれはしたが。
 あの判決、女性判事は全員違う意見を述べている。それなのに多数の暴力でああいう判決。日本を象徴している。つまり女の言う事など聞こうとしないのだ。
山口二郎も書いているが、夫婦別姓を押し付けようとしているのではない、希望すれば別姓も選べる自由を尊重しろと言っているだけだ。それを許容しない日本。
「判決は責任転嫁のたらいまわし」はほんとにそう思う。

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人を裁く責任、権利、義務

 昨日、裁判員裁判で初の死刑が執行されたそうだ。

 元裁判員の言葉「自分が人の命を奪っていいのか」は重い言葉だと思う。
 だが、じゃあ、裁判官にそれをまかせて、あるいは責任を押し付けていいのか。それは無責任じゃないか。
 裁判官は、自分はできて、一般市民はできない、と思っているのか。もしそうなら、それは傲慢だと思う。
 人の命を奪うのは躊躇するのに、何年も刑務所に閉じ込めておくのは平気なのか?そのそも人が人を裁く事はできるのか。

 民主的というのは、自分もそういう責任の一端を負う、という事だと思う。

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山頭火

Santoka2015z17 普段、詩とか短歌俳句とか読むような趣味も週間もないのだが、山頭火はちょっと気になる。

 いや、怒られそうだが、

深い夜 山頭火を読んでいる
人間は モーツァルトのようになさけない
山頭火は静かだ くれていく


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ガソリン109円/L

 昨日の朝見たらガソリンが109円/Lだった。安いのはうれしいが、ちょっと考え込んでしまう。

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障害児(者)と暮らす

 6月に母が倒れ、入院、特養、入院、特養、老人保健施設、と移動し、今に至っている。その間叔父(母の弟)が亡くなった。実はその前1月に叔母の連れ合いも亡くなっていた。母の関係だけでなく、ぼく自身と言えば妻の父も亡くなったし、実は別のもうひとり叔母(父の妹)の連れ合いも亡くなった。
 そういうわけで、母が倒れ、母の弟が亡くなったこともあり、叔母(母の妹)とは少しは話もできた。うちの事(次女の事)も直接すこしはくわしく話せて、良かったと思っていた。そうしたら、普段そうした付き合いのない叔母から海産物がいきなり送られて来た。思う所があるのだろう、ありがたく、お礼を言い、こちらからは次女の作業所の製品である煎餅などを送った。叔母からメールが来た。誠に申し訳ないが無断で引用する。
「慌ただしい年の瀬です。本日、沢山のお煎餅&おうどんお送り頂きました。有り難う。お気遣いなき様にね‼
あっという間の一年でした。お身体気を付けて頑張って下さいね。子育てが終わり、これからは夫婦二人の時間。充実の日々をお過ごし下さい。御礼まで。🌱叔母の名前🐤 」
 なんというか、、、次女の事はあれだけ話したじゃないか。子育てが終わりとか夫婦ふたりとか、、、、善良な叔母なのだ。それにしてこれだ。
 返事を書いた
「送らせてもらったのは次女の行ってる作業所の生産品です。お口にあえばいいのですが。
 次女も21歳なのですが、子育てが終わりなんてことは全然なく、ずっと要介護ですから、夫婦二人だけなど、、、。これから我々も老いてくるわけで、次女の「親亡きあと」をどうするか、親の会、作業所ぐるみで奔走してます。」
 返事はない。まあ怒ったのでも、まずいと思ったのでも何でもいい。だが、こういうことはお互い言ったほうがいいのだ。
 実はこの叔母はずいぶん気を使ってくれていたのだ。別の親戚やら母の「ともだち」やら、じつに不快なおためごかしもあり、この間(かん)、怒り狂ったりした。ともかく、だれでも他人の痛み、他人の苦労は感じないのだ。ぼくも気づかずに人を傷つけていると思う、申し訳ない。

 善意だろうとなんだろうと、なにか傷つくような事を言われたら、こういうことを言ったら人は傷つくのだと、言ったほうがいい。言われた方は、傷つけるとは思わなかったのだからしょうがない。気にしない。気にしないが、改善できることなら改善する。
 傷ついたと言うと、そんなつもりじゃなかったのにというやつがいる。そんなことは知っている。だからどうした。そういうことを言えば傷つくんだ、やめてくれと言っているんだ。やめてくれ。「そんなつもりじゃなかった」というのが、「そんなつもりじゃなかったんだから気にするな、これからも言い続けるぞ」という意味なのならそういうやつとはつきあわない。親戚だとつきあわざるを得ない。実に困った事だ。

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ヴィヴァルディ 協奏曲集「調和の霊感」から 11番(Op.3-11) ニ短調

20151213235746192
 昨夜はVn教室のH先生に頼まれて定期演奏会。パーセルのパヴァーヌとシャコンヌ、ビーバーの「戦争」、ヴィヴァルディに出させてもらった。おそれおおくもヴィヴァルディのソロも弾かせてもらったのだが、たいへんだった。ただの16分音符なのだが、なかなかできない。ずいぶん練習したのだが、終わった後に、前にぼくが書いた「小さな傷は限りなく(^^♪」と言われた。まあ、そうなんだけどさ。しょうがない。これが実力だし、じつはあれでも練習した成果は少し出ていたと思う。(あれでも!)へっぽこアマチュア音楽愛好家としては精一杯やったつもりだ。(しょせんいいわけだが)
 練習というのは、できない事をできるようにする事だ。新しい曲を練習してできるようになる。楽譜を見て、練習してできるようになっても、実力の範囲内なら、それは自分の進歩にはなっていないかもしれない。今回の練習ではそれにとどまらず、自分の持っていなかった事をほんのすこし、できるようになったと思う。ずいぶん試行錯誤もした。
 また練習しよう。
 若者のような感想になってしまった。ありがとうございました。


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野坂昭如が死んだそうだ

 野坂昭如が死んだそうだ。小沢昭一と命日が1日しか違わない。(だから、なんだ?)
 永六輔は元気だろうか?

 火垂るの墓は読んでない。あまり読む気がしない。どれでもこういうのは大切だ。
 戦争はいかん。原発やめろ。人類(日本人?)はなにも学んでないと思って暗澹たる気分になる。

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電飾の事

 クリスマスが近いのか、電飾をあちこちで見かけて、違和感しか感じない。
 テレビでおばさんが、木がきれいに(電飾で)飾られてて、すばらしい、みたいなことを言っていやがった。ぼくには木がかわいそうという気持ちしか起こらない。ぼくの感覚がおかしいのか、それともおばさんの感覚が異常なのか。
 ともかく原発をなくしたい。こんな大事故を起こしたのに、こんなに原発を続けようと言うのは異常だ。ぼくの感覚がおかしいのか。

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妻の名言

 テレビで「最近はわんちゃんにくらべてねこちゃんんがふえているんですねえ」というアナウンスを聞いて「ねこに「ちゃん」をつけるな!、、、、つけるならニャンちゃんと言え!」

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