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2017年6月

ジャガイモとれた

2017nptt そういうわけで(?)かき回されてしまった畑で、ジャガイモはしぶとく生きていて、少しとれたのだ。これで全部。それでも種芋の2倍くらいはとれたか。すばらしい生命力だ。


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運動靴

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 ちょっと出かけるときなどに素足でもはけるような靴が欲しくて買った。次女と出かけるときに手前においたら、当然のごとくこれをはいていったので笑ってしまった。新品は良いと思うらしい。たいていは新しい物を勧めてもやっぱり古いなれた物がいい次女なのに。

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孤独のグルメ 久住昌之原作 谷口ジロー画

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 古本屋で見つけて買った。この表紙絵はかっこ良すぎる。しかも、なんていうかな、この絵はスーツ姿はあまり身にあってないのにかっこ良くなってる。この主人公はもっとスマートなモダンなスーツなのに、でもかっこ良くないのだ。(あくまで個人的な見解です。(^^;) 中身はそういうふうに描けているのになあ。

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平成治安維持法成立

 14日「組織的犯罪処罰法等改正案」(マスコミは「共謀罪」と言っているが、平成治安維持法、と言った方が良い)が可決成立したらしい。
 むちゃくちゃだ。安保法制のときもそうだが、中身もむちゃくちゃ、成立手順もむちゃくちゃ。日本は民主的な国ではない。
 だからといって世の中は特別変わらないだろう。例えば、治安維持ということだけとったって、沖縄の不当拘束事件のように、警察も政治もまったく恣意的に法律を運用し、はっきりいって不法な、あるいは犯罪を行っていると言って良い。甘利が行ったのは収賄以外のなにものでもないし、白紙領収書はどう考えたって犯罪、森友も加計も犯罪だ。まえからずっとむちゃくちゃな政治なのだ。
 世の中はいますぐ特別変わらないだろう。だからこそ問題なのだ。政治のあり方を変えることが必要なのだ。投票することも必要だが、もっと政治的活動も必要なのだと思う。アメリカなんて大嫌いだが、アメリカだって普通の市民が草の根で政治的活動をしている。それがあの銃社会を維持しているしまた、この数十年で性的マイノリティの社会的地位を確立させている、とも言える。
 ともかく今の政権を早く変え、できれば、阿部はじめあいつらの犯罪行為を明らかにし逮捕し法的に追求すべきだ。

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薔薇とかすみ草

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 なんでも次女がらみで買ってきたものらしい。玄関は逆光で写真を撮るのが難しい。


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ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲 ワーグナー

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 マイスタージンガーは学生のときにもやった。高揚するし、好きだ。今回たぶん40年近くぶりにやることになる。学生のときよりは他のパートが聴けるようになったかな?
 スコアを持ってることに気づきひっぱり出したが、外はやけてるが中のなんときれいなこと!学生のときに買ったのだが、ほとんど開けたことないんじゃないか。400円と書いてある

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ノコギリカミキリ

2017614_2 妻から「ゴキブリじゃないよね?」とメール(ライン)が来た。ゴキブリくらい、見りゃあわかるだろう。
 どうやらノコギリカミキリらしい。

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ACミラン

2017610akas イタリアンパセリにたくさんついていた。よくあることらしい。アカスジカメムシ。
 ACミランと言えば、昨日のWC予選はどうなってるんだ。全然面白くない。今の本田が一番働いているようじゃあどうしようもない。


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日曜日の猫 母娘

2017610cats


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肉団子

2017611nkdg 
 この土日は母のところに用を足しに行き、市民オーケストラの練習があるだけだったので、とても余裕があった。そうはいっても老人の話を聞くだけでもストレスだし、オーケストラはろくに個人練習もしないで行ったから、弾けなくてまいった。
 日曜日には肉団子も作った。あんは甘酢なのだが、見て作ったレシピがすばらしく、酢砂糖醤油オイスターソース水に片栗粉も最初から混ぜちまってかき混ぜながら火にかけるというもので、こんないい加減で良いのか!と感心した。(男の料理だが、オーブンで肉を焼く間に、鍋もボウルもみんな洗った、あたりまえか。)


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印影:2017-18は2本

2017610mie 元同僚にあげたもの。さいころを見ていてインスピレイションを得たものなので、もっともっと掘ってポチポチにしてしまうべきだったのだが、勇気がなかった。(6じゃなくて5になってしまいそうで)


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ジョスカン・デプレ こおろぎ 

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 有名な声楽曲でリコーダー編曲は北御門文雄のルネサンス声楽曲に納められている。
 クレマンジャヌカンアンサンブルのが耳についてはなれない。いつものようにとても鮮やかで。
 youtubeでいろいろ聴けるが、大合唱なんてのもあるのね。でもね、大合唱になるとどうしても僕にはコオロギでなくカエルになってると思う。妙な感じでぼくにはとても滑稽に聞こえる。
 大合唱がカエルになっていることに気づいてしまうと、クレマンジャヌカンですら、声が張りすぎているように感じられる。リコーダーアンサンブルの方がコオロギっぽいかも。
 北御門の速度指定は2分音符=96なのだが、僕には遅すぎる。歌詞がない分もっと速くないと軽くないと思う。


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うつうつひでお日記 その後 吾妻ひでお

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 最近のトイレのお供。何もなくてよい。本読んでないなあ。


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ブラームスとシベリウスのシンコペイション

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 ブラームスの弦楽六重奏曲には何ヶ所かにシンコペイションがあるのだが、1楽章の最後のは、パート譜と総譜で違う。自筆譜がimslpにあるが、それは1小節ごとなのだ。だからパート譜は二つともつながっているが、1小節ごとにすべきなのだと思う。Vn教室のH先生に教えられた。
 実はつながっているところも、こういう1小節ごとが基本だと実感した。1小節をタタータータ、と感じるのが基本で、小節をまたいでつながっていても、1小節ごとに感じてそれをつなげるように感じなければ、できない。
 ところがシベリウスの1番に出て来るやつは6/4だったりするのだ。できなかった。


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プロコフィエフ ロメオとジュリエット組曲からモンタギュー家とキャピュレット家

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 たぶんこの曲を初めて聴いたのは、例のソフトバンクのCMだった(無知だなあ)のだが、なんて奇妙なメロディー、音楽なんだろうと思ったことだ。モンタギュー家とキャピュレット家のぎくしゃくした(?)関係を表しているのだろうと思う。
 図のところは、30(というか親指)2のあとは02、次は親指でなく2(a線)、4と続けるのだろう。

 と思っていたら、やはり親指で取って次のaを解放で取るのじゃないかと、トップの教えられた。
(6/11追記)

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リコーダーアンサンブル

 PMリコーダーアンサンブル 吹いた吹いた4時間吹いた 少しSpも吹けたので満足 しかしソプラノ吹いているとアルトあたりの音程が気になる。三度はもっとせまく!やはりAltくらいが自分に合ってるのかもしれない。 その後コメダ珈琲にも 
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Andante Cantabile/シャルル=マリー・ヴィドール
モック・バロック/ジェームズ・ダンカン・キャリイ
バロック・ホウダウン/ペリー&キングスレイ
こおろぎ/ジョスカン・デ・プレ
5つの舞曲/ミヒャエル・プレトリウス
6つの舞曲/ピエール・アテニャン  (北御門文雄の編曲)
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概念の拡張

 今日は、所属部署の歓送迎会で、実に楽しかった。楽しい時間はあっと言う間にすぎてしまう。
 それはともかく、理系の集まりだったせいか(?)「概念の拡張」の話をここに書いてないのを思い出した。

 高校の化学、酸塩基(酸アルカリ)とかのなかでアレーニウスの酸塩基とかブレンステッド・ローリーの酸塩基とか教わる。
 アレーニウスは酸とは水素イオンを出すもの、塩基とは水酸化物イオンを出すものと言った。その後ブレンステッドとローリーは水素イオンを受け取るものも塩基だとして、定義を拡張した。と言うような内容なのだ。
 こんな話、大部分の高校生に学ばせて何か意味あるんだろうか?
 いや、これは大切なことで、定義と言うより、概念と言うか考え方と言うか、そういうものが拡大、進歩していると言う話なのだ。

 たとえば「数」ってのは、原始人とか、今だって幼稚園児にとっては1,2,3,,,,っていうの(自然数)だけが「数」で、0個のりんごって、無いのに0個って、意味わかんないって、言うんじゃないだろうか。日本もつい最近まで0なんてなかった。
 三回忌が2周年なのは、「死んだのが〇〇年」と指を一本折る。「〇〇+1年、〇〇+2年」と指を折れば2年経てば三回忌じゃないか。初七日、御七夜も同じだ。数は(0からではなく)1から始まる。でも地上階?は1階じゃなくて0階って言うべきじゃない?
 日本だけじゃなくて、西暦だって1年から始まりその前は0年じゃなくて紀元前1年だろう。
 2分の1個とか言うけど、豆腐を半分に切ったら2個じゃないか。
 そういう中で、インドで何千年前だか?0が発見された。これは画期的なことだ。もちろん小数とか、分数とか、さらにはマイナスとか。-2個のりんごってイメージできるようになるのはいつからなんだろうか?πとかeとかイメージできるだろうか?
 でも無理数だって数直線上にあるんだから、まだいいけれど、虚数なんて数直線上にない。そんなの「数」なのだろうか?。意味あるのか?。でも原子核の周りを回る電子の軌道は虚数を含む関数(本当は虚数を含む微分方程式だっけ?いいかげんですみません)で表されるらしい。だから意味ある。(いや、正直なところ、わからない (^^;)
 ともかく「数」が具体的なリンゴを離れ、指の数(=10)を超え、0やマイナス、分数小数、、、と考えられるようになり、抽象的に考えられるようになっていった。
 酸塩基にせよ、数の概念にせよ、学問があるいは人間の精神?というべきか、進歩していくと考え方が広がっていって、抽象的になって、わかりにくくなるし、役に立つと言うか、いや要するに進歩するのだろう。

 そういう「概念の拡張」の意味を学校の先生は教えているのだろうか?
 授業は、問題が解けるようにすることや、式をいじくり回すテクニックを教える場ではなく、そういう教科書に書いてない「学問の精神」を教える場だと思うのだが。






対数のことなども

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摘果メロン

2017531mrn
 今年も摘果メロンを少しもらった。マリネ。キュウリのようだが、キュウリよりうまい。甘みがある。さすがメロンである。


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